鉾田地方の舟運の盛衰を伝える

文化振興 2024年08月06日

        第5回とくしゅくの杜企画展開催中

 鉾田地方は、中世より巴川河口や北浦を中心に栄えた舟運拠点が数多くありました。特に、港湾を「津」と読んでいた南北朝時代には「当間津」を常陸大掾鹿嶋氏庶流の宮ヶ崎氏(安房氏と同族)が「白鳥津」を同族の白鳥氏が治め管理していたことが「海夫注文」と呼ばれる香取大禰宜家文書等から分かります。

 江戸時代になると漁労や必需品等の物資の輸送の寄港場所としていた機能から、諸藩の年貢米や商品の大量輸送拠点として港湾施設に加え・倉庫や陸配送の機能・宿泊施設なども有する「河岸」へと発展しました。

 また、大量輸送には優れた河川が重要であり、ときに河川と湖沼を結ぶ新たな運河の開削計画が立てられ、具体的な開削も実行されるなど鉾田地方の舟運は他地域とは違う重要な位置づけになっていました。

 今回の企画展では、鉾田市の多くの河岸についての姿や大谷川地区運河と紅葉地区運河の二つの運河について紹介するとともに当時の河岸の繁栄と衰退について紹介し、鉾田地方の舟運を基盤とする商業地域へと発展かつ衰退した歴史について紐解かれています。

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