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梶山古墳群第5号墳は埴輪片採取・測量調査から6世紀半頃の築造か?
鉾田市教育委員会と明治大学考古学研究室(調査責任者:佐々木憲一明治大学文学部教授)による調査が、令和6年9月3日(火)から8日(日)までの期間で明治大学文学部考古学演習の一環で行われました。調査前には、3日間雨天の中を教育委員会職員とともにとくしゅくの杜市民学芸員2名が墳丘及び周辺の草刈りや雑木の撤去などを行い、今回の目的である25cmコンター(等高線)作図のための測量環境を整えました。
今回の調査で、全国統一とする25cmコンターの古墳遺跡地図が鉾田市で誕生することとなり学術的価値が高まります。畑作の耕作により明確でなかった墳丘携帯については、測量調査により南西側が前方部、北東側が後円部であることがわかりました。トレンチ調査等をとおして墳丘の携帯や築造方法についてあるいは周溝の存在などが確認されるとさらに当該古墳の位置づけが明らかになることが期待されます。
また、採集した埴輪片等から築造年代は、6世紀半ばに遡ると考えられるとのことでした。昭和54年に箱式石棺が発見され翌年調査された梶山古墳第4号糞は、『常陸梶山古墳』(大洋村教育委員会1981.10)によれば、遺物等から6世紀末葉の築造で、石棺には5個体分の人骨が検出されたことから7世紀前葉まで追葬が行われたとしています。
梶山古墳第5号墳の調査が進むことで、第4号墳の位置付けもさらに明らかになり、古代上島郷の地域文化についても詳かになることが期待されます。
【写真:測量調査を進める明治大学考古学研究生】