農村教育・経済基盤の基礎を支えた領主徳川治保「文公」の為政

文化振興 2025年03月23日

         とくしゅくの杜第6回企画展記念講演会を開催

 鉾田市生涯学習館「とくしゅくの杜」の第6回企画展が開催されていますが、令和7年3月22日(土)には展覧会に即した記念講演会が開催されました。

 企画展テーマ「常陸鉾田地方の出版文化と農村教育~江戸時代の出版物と私塾・寺子屋教育のすがた~」に因み、講師に小宮山風軒研究の第一人者で水戸市学会理事の仲田昭一先生を迎え、「近世常陸地方の私塾に学ぶ農民たち」を演題に水戸藩郷学を中心に講話をいただきました。

 ご講話の中で、水戸藩では、文公時代に多くの学者等人材が育成されたことや稽医館をはじめ郷学の理念は、単なる教養人を育成するに留まらず、藩政の核とする健康で経済的基盤を有した領民育成に主眼が置かれていました。そのため郷学のカリキュラムでは医学や産業振興などの科目が導入されていたようです。さらに、水戸藩校「弘道館」は江戸後期であり他藩と比べても遅い設置でした。江戸藩邸では藩主はじめ家臣たちも学ぶ機会を得ていましたが、本国には藩校を設けていなかったようです。しかし、彰考館などに全国から多くの学者を招聘していたため、「家塾」という方法で直接学ぶ機会が創られていたのでした。

 長久保赤水もまたこの文公に育てられ日本初の全国地図を発刊できたのでした。赤水は、儒学者として水戸藩で認められ文公の侍学者として81歳まで使えることになります。この間、彰考館所蔵の国絵図や地理書などの書写をとおして情報収集に努め、江戸へ出てからは多くの儒学者や考証学者との交遊はじめ、全国を行脚する人々からの聞き取りを行うなど地図出版にあたり文公のバックボーンは大きなものがあったと考えられます。

 このような光圀から引き継がれた水戸藩主の教育あるいは産業振興は、常陸国においては、領主関係を超えた近隣郷村へも広まり、農村教育の水準は高いものになあっていったものと考えられます。

【写真】

講演する仲田昭一先生と紅葉郡役所跡風軒記念碑拓本

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