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鉾田市明治150年記念事業「甦る郷土鉾田の群像」が開催されました!
今年は、明治150年という記念すべき日本の歴史にとり節目の年です。NHK大河ドラマでは「西郷どん」が放映されていますが薩長本位のストーリーで「史実」を逸脱した脚本内容が酷評されています。
鉾田市の幕末明治という時代は、人々のくらしを大きく揺るがしました。水戸藩の内部抗争である天狗・書生の確執抗争は悲惨な結末となり、水戸藩領のみならず常陸国(茨城県)のみならず関東甲信そして北陸まで影響をおよぼしています。
元治元年には、幕府の天狗党追悼軍が北浦から鉾田へ上陸し三光院に本陣を構え、他藩出身者などから参画した天狗党烈士を制圧しています。
また、大洋地区阿玉を支配していた旗本「水野忠徳」は、長崎奉行、外国奉行、神奈川奉行あるいは勧請奉行を務め通商修好条約の調印や小笠原諸島の調査及び領土化に尽力しています。その欧米化していた小笠原への渡航計画の罪で投獄されたのが無量寿寺の順宣・順道父子でした。高野長英や渡辺崋山とともに蛮社の獄の犠牲となったのでした。
そして、明治元年には最後の将軍第15代徳川慶喜が謹慎地である水戸の弘道館から徳川惣領家の新領地駿府(静岡)への移動時に鉾田で宿を取っています。2年前の田山家文書の発見によりその史実が証明されました。
今回の記念事業は、鉾田うまかっぺまつり「まちなかカーニバル」n開催に合わせて企画されたもので、ホテルさわやを会場にした企画展「田山家文書ならびに大塲家文書から映る慶喜」の開催、4回に亙るリレー講演会、そして「幕末日本の英傑慶喜を訪ねる」バスツアーが実施されました。
市内外から参加された歴史愛好家の皆さんは、人間「慶喜」のその能力と人間性を学び、幕末明治維新の真実を深めました。バスツアーでも慶喜の駿府への辿りその心の内を各自おもんぱかりました。
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